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| 坂上: |
我々、グラフィックとエディトリアルで、それぞれ仕事やってますけれど、今はプロダクションでも、「雑誌デザインだけ」とか、「広告デザインだけ」とか、請け負う仕事がどちらかに偏っているところはあまりないですよね。多いパターンは、定期的に依頼の来る雑誌のエディトリアルをやって、収入を安定させる。その合間にグラフィックを受けるというケース。 |
| 榎本: |
その流れは、制作にも影響を与えていて、今はグラフィックとエディトリアルがクロスオーバーした広告や雑誌もよく目にするようになりました。特に比較的若いターゲットに対する媒体をつくるのであれば、その認識は必要ですよね。 |
| 坂上: |
でも、気を付けなければならないのは、グラフィックとエディトリアルのどういったところが違うのかということを明確に認識した上で、意図的にエディトリアルとグラフィックの要素をクロスオーバーさせることだと思うんです。実際、それを認識してバランスよく作品を作っていくことが、今後のデザイナーには求められるでしょうし。例えば、CDショップなどに、フリーペーパーがありますよね。あれを、僕は雑誌だと思わない。あれはSP用の媒体だから、雑誌では絶対に使わない書体やレイアウトとかが、その中で許されている。そのことをしっかり認識していないデザイナーが、当たり前のように、そのまま雑誌の制作に、そのデザインを模倣しようとするときに、軋轢ができてしまうのね。 |
| 榎本: |
さらに、今はWebっていうメディアもありますからね。学生も勉強している段階では、出口は絞りこまずに、どこでもいいってフレキシブルに考えたほうが、これからの時代はいいんじゃないかな。媒体や目的によって、デザイン表現を変えたり、時にはグラフィックやエディトリアル、Webの特性を、意図的に融合させたりするとか、とにかく伝え方の工夫ができる人材を現場は求めているわけだから。 |
| 坂上: |
授業で作品をつくるときに、受講生が「どうしたらいいか自分でわからない。」とぶち当たる壁がありますよね。 |
| 榎本: |
結局、操作方法が見つかっても、それで作品はつくれない。そんな学生にはマシンで操作する前に、まず、考えながら紙に描いてもらう。手描きだと、割とシンプルに表現できることが、マシンを目の前にしてしまうと、技術を探そうとするから手が止まってしまうでしょ。 |
| 坂上: |
そういう意味ではアナログの勉強は侮れないですよね。 |
| 榎本: |
まず、ササッと紙に描いてみることはもちろん、写真のコラージュをしてもいいと思うし。僕は、美大でも教えてますけど、そこの学生とリカレントの学生は何ら変わらない。むしろ、リカレントの学生はほとんど大人の方ですから、思考力があるというか、いろいろなことの繋がりをもって考えられる。センスのいい人がたくさんいますよ。でもみんなその出し方がわからないんでしょう。一人ひとり、それを見つけてあげると、力を発揮するようになる。そうすると、こっちも嬉しくなりますよね。 |
| 坂上: |
ぜひ、これからデザインを学ぶ人に憶えていてほしいのは、デザインって、日々の生活そのものなんだということ。勉強している時間とか、学校に通っている期間だけやっててもねえ。電車の中で、「なんで、この中吊り広告、文字ばっかりなんだけど、読みやすいんだろう」とか。いろんなところにヒントが転がっているんですよね。それをスルーしちゃうのは、もったいない。 |
| 坂上: |
僕らは、Macのディスプレイがまだモノクロだった頃からこの仕事やってるから、例えば色がついていても頭ん中でモノクロにしちゃうんだよね。僕は写真をやってたこともあるから目の前の風景から、ぱっと色を抜くんです。白と黒にしたときにその風景の明暗が見えてきて美しい。受講生には、そんな色のない世界の深さというものを、知って欲しいなと思っています。 |
| 坂上: |
そうそう。そして、雑誌のページをつくるときに、白い紙の上に写真をおいたときの空間とか、文字をポンと置いたときのインパクトなど、ちゃんと出せるようになればダンゼン作品は良くなると思います。そういう方法もあるんだよということは授業で教えてますね。あとは、どのデザイナーでもそうだと思うんですが、自分が影響を受けた人というのが必ずいるじゃないですか。で、僕にとっては大学のときに狩野派の日本画の先生がいて、その先生に影響を受けた。「東洋人てのはすごいんだぜ」って話をしてくれたことがずっと心にあるんです。西洋人は森を切り開いて石造りで街をつくっていたけど、東洋人はお邪魔しますと言って、自然と共存して住んでいた。絵の世界でも、西洋の油絵はキャンバス全体に色を塗るのに対し、東洋の絵は白いところを大幅に残した墨絵の世界でしょ。ものを描くときに感じたものをどうやって表現したかというと、何も描かない手段を選んだと。あの何もないところは、彼らの感じている大気だということを教わったのね。だから、僕が受講生によく言うのは「白い部分の使い方をうまくなるように」ということ。 |

| 榎本: |
そういうことに関しては、僕も良く考えてますね。僕がやっているのは、まず色が使えないということを仮定すると、絵を見てきれいだなと思う感覚ってどこにいくかなということ。実は、それは明度だったりするのね。だから、モナリザはフルカラーだから美しいのではなくて、新聞などでモノクロで出ていても美しいのがわかる。そのことを、実はみんな見て知っているのに、自分で表現するときはまだそれができていないような感覚になってしまう。あとは、映画のことを例に挙げてみる。それは非常にロジカルで、物事を視覚記号化したものをずっと時間軸で繋いでいくことなんですけど、それと抽象画とは全く違う世界でしょ。そのことの説明は確かに難しくてね。同じ花を見ているのに、人によって違う花の形を描く。見えている様を正確に写し取ろうとしているつもりでしょうが、実際には、自分で知っているものに置き換えて描いている人が本当に多い。子供の時の絵の作り方から、実は卒業していない人がたくさん見受けられます。見方を否定はしませんが、授業では別の見方、捉え方を増やすことを提案してます。それができる人はもちろん良いし、例え、絵が描けなくてもデザインはできますよ。記号の組み合わせによって、新しいものを作っていくことさえできればね。写真とキャッチコピーを組み合わせるとか。同じ写真でも切り取り方を変えてみるとか。それで、広告が仕上がっていく。そのきっかけをつくれば、あとは、何十種類も作品ができますよね。で、坂上先生がおっしゃっていたように、その写真をスペースの中に組み込むということも考慮していけるようになるわけですよね。 |
| 坂上: |
美術展、写真展とかね、こまめに観に行って欲しいですよね。そうすると、その寄せ集めで何かをつくるということができるようになってくるわけでしょ。それは、言い換えれば究極の物真似なんだけど、その引き出しやヒントをたくさん持っている者勝ちじゃないかと。分析しているうちにね、どっかでこれ使えるというときが来る。たくさん良いものを観るのはその準備だよね。逆に、誰も考えたことがないデザインをするなんて難しいから。 |
| 榎本: |
というより、それは意味ないよね。完全なるオリジナリティというものはナンセンス。人との接点になるものは、どこかで人の記憶にあるものでなければ意味がないんじゃないかな。だから、「模倣から生まれる」という言葉もあるし。 |
| 坂上: |
デザイナーの事務所になぜあんなに資料があるかってことですよね。 |
| 榎本: |
あとセンスは短期間で、いくらでも教えられますよ。だけど、技術を教えるのは難しい。それは、本人に依る部分が大きいから。体を使ってやるわけだし、技術力を支えるのは、本人の思考力だったり、執念だったりすると思う。学生のうちだと、デザイナーになるとか美大に行きたいとか言うと、親御さんが反対することが多いから。「食えるわけないじゃないか!」ってね(笑)。でも、社会人になって、自分で自分に投資ができるようになったとき、それでも、本当にやりたいことがデザインだっていう原動力は強いと思うのね。 |
| 坂上: |
作品づくりにしても、最後まで自分の気持ちが入るかどうかですよ。やはり、自分がつくったもの、自分の思い入れのあるものが残ることは喜びになりますよね。 |
| 榎本: |
そう。つくったものが、新聞や雑誌に載ってそれを見たら、もうお終い。その味を占めるとデザインはやめられなくなりますね。 |
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